競技生活で約 10 年間、自分の足と向き合い続けてきた元実業団マラソンランナーの鈴木健太さん。レース中に感じるアーチの変化、怪我を経て身につけた「違和感の段階で気づく」セルフモニタリング、そしてシューズ選びの考え方の変化——走ることを極めた先に見えてきた「足の声を聴く」という感覚について、お話を伺いました。
鈴木 健太(すずき・けんた)元実業団マラソンランナー。大学時代に箱根駅伝を経験したのち実業団チームに所属し、約 10 年間の競技生活を送る。フルマラソンの自己ベストは 2 時間 14 分。現役引退後は市民ランナー向けのランニングコーチとして活動しながら、地域のジュニア陸上クラブでも指導にあたっている。
トレーナーとして日々さまざまな方の身体と向き合うなかで、「足」に対する意識の持ち方には大きな個人差があると感じています。特に、長年にわたって自分の足と真剣に対話し続けてきたアスリートの言葉には、一般の方の健康づくりにも通じるヒントが多いのではないか——そう考え、今回は元実業団マラソンランナーの鈴木健太さんに、競技生活を通じて得た「足」にまつわる気づきについてお話を伺ってきました。
42.195km を走る足に、何が起きているのか
山田
鈴木さんは現役時代、フルマラソンを 2 時間 14 分で走っていらっしゃいました。レース中、足の状態はどのように変化していくものなのでしょうか。
鈴木
まず前提として、マラソンって一歩あたりの着地衝撃が体重の 2〜3 倍と言われていて、それを 3 万歩くらい繰り返すわけです。序盤はまだ筋肉にも弾力があるので衝撃をうまく吸収できるんですが、30km を過ぎたあたりからクッション性が目に見えて落ちてきます。
山田
いわゆる「30km の壁」ですね。
鈴木
そうです。足裏の感覚で言うと、序盤は地面を「弾いている」感じなんですけど、終盤は地面を「叩いている」感じに変わります。アーチが落ちてきて、接地面積が広がっていくのが自分でもわかるんです。それをいかに遅らせるか、あるいはアーチが落ちた状態でもフォームを崩さず走れるか——それが終盤の勝負を分けるポイントでした。
山田
アーチの低下をレース中に自覚できるというのは興味深いですね。
鈴木
長距離の選手は足裏の感覚がかなり鋭敏だと思います。路面の硬さ、傾斜のわずかな変化、シューズのなかで足がどう動いているか——そういう情報を常にモニタリングしながら走っています。考えてやっているというよりは、身体がアンテナになっている感覚ですね。
足の「小さな違和感」を見逃さない
山田: 競技を続けるなかで、怪我の経験もあったかと思います。足のトラブルとはどのように向き合ってこられましたか。
鈴木: 正直に言うと、若いころは痛みを我慢して走り続けたことが何度もあります。実業団の選手って、チーム事情やレーススケジュールがあるので、個人の判断だけで休むのが難しい場面もあって。でも、結果的にそれで足底筋膜炎を悪化させてしまい、半年間レースに出られなくなったことがありました。
山田: 半年は長いですね……。
鈴木: あの経験が大きな転機でした。リハビリ期間中に、チームのトレーナーさんから「痛みが出てから対処するのでは遅い。痛みの手前にある"違和感"の段階で気づけるようにならないと、この先も同じことを繰り返す」と言われたんです。
山田: まさにそのとおりですね。痛みというのはすでに組織が損傷しているサインですから、その前段階——張り、硬さ、動きにくさといった微細な変化を察知できるかどうかが重要です。
鈴木: それからは、毎朝起きたらまず裸足で床に立って、足裏の感覚を確認する習慣をつけました。左右差はないか、踵に硬さはないか、足指がちゃんと開くか——本当にシンプルなチェックなんですけど、これだけで「あ、今日は右のアーチがいつもより低いな」とか気づけるようになりました。
山田: 朝一番の足の状態は、前日の疲労の蓄積を反映していますから、非常に理にかなったセルフモニタリングですね。
「速く走る」から「うまく走る」へ
山田: 鈴木さんは引退後、市民ランナーの指導をされていますが、競技者と市民ランナーでは足に対するアプローチに違いはありますか。
鈴木: 根本的に違いますね。競技者はタイムを 1 秒でも縮めるために、ある程度のリスクを取ってトレーニングします。でも市民ランナーの方は、走ること自体が目的であり、楽しみであり、健康のための手段でもある。だから僕は「速く走る」ではなく「うまく走る」を指導の軸にしています。
山田: 「うまく走る」とは、具体的にはどういうことですか。
鈴木: 一言でいえば「身体に無駄な負担をかけずに走る」ということです。着地の位置、腕振りのリズム、骨盤の角度——こういった要素が噛み合うと、同じペースでも身体への負荷がまったく違ってきます。
山田: フォームの最適化ですね。
鈴木: ええ。そして面白いのが、フォームを改善するうえで最初に取り組むべきなのがフォームそのものではなく、「足の機能を取り戻す」ことだったりするんです。
山田: というと?
鈴木: 市民ランナーの方って、普段は革靴やヒールのある靴で仕事をしていて、足指がほとんど動かない状態で一日を過ごしている方が多いんです。その状態でいきなり走りのフォームだけ直そうとしても、足がその動きに対応できない。まず足指が使える状態をつくって、アーチの筋力を戻して、それからフォーム改善に進む——という順番が大事だなと実感しています。
山田: 足の機能が先、フォームは後。これは走らない方にとっても大切な考え方ですね。日常の歩行においてもまったく同じことが言えます。
シューズ選びに対する考え方の変化
山田: シューズの話題も伺いたいのですが、現役時代と今とで、シューズに対する考え方は変わりましたか。
鈴木: 大きく変わりました。現役時代は、正直に言うと「速く走れる靴がいい靴」だと思っていたんです。厚底カーボンシューズが登場してからは特にそうで、記録が出るシューズを選ぶのが当たり前でした。でも引退後、ランニングコーチとして多くの市民ランナーの足を見るようになって、考えが変わりました。
山田: どのように変わったのでしょうか。
鈴木: シューズのテクノロジーに頼りすぎると、足本来の機能が衰えるんだなと気づいたんです。たとえば、クッション性の高いシューズばかり履いていると、足裏のセンサーが鈍くなって着地の衝撃をうまく制御できなくなる。アーチサポートが強すぎるインソールを常用していると、アーチを支える筋肉が怠けてしまう。
山田: シューズが「杖」になってしまうわけですね。
鈴木: まさにそのイメージです。もちろん、怪我のリスクを減らすためにシューズの機能を活用すること自体は悪いことではないです。でも、シューズに足を合わせるのではなく、まず足を整えてからシューズを選ぶ——という順番を意識するだけで、怪我のリスクも走りの質も変わってくると思っています。
山田: 先ほどのフォーム改善の話と同じ構造ですね。まず足ありき、と。
鈴木: そうなんです。結局、すべてそこに帰ってくるんですよね。
引退して気づいた「足に感謝する」ということ
山田: 最後に、競技を離れた今だからこそ感じていることがあれば教えてください。
鈴木: 現役のころは、足は「道具」でした。パフォーマンスを出すための道具であり、鍛えるべき対象であり、壊れたら修理するもの。でも引退して、日常生活を送るなかで思うのは、足はもっとシンプルに「自分を支えてくれている存在」だなということです。
山田: 素敵な表現ですね。
鈴木: 大げさに聞こえるかもしれませんけど、朝起きてベッドから降りて、トイレまで歩ける。それって本当にありがたいことだと思うんです。選手時代に怪我で歩くのも辛い時期を経験したからこそ、「普通に歩ける」ことの価値がわかる。だから今は、速く走るためじゃなくて、この先もちゃんと自分の足で歩き続けるために、足のケアを続けています。
山田: ありがとうございます。走ることを極めた方が、最終的に「歩ける幸せ」に立ち返る——非常に説得力のあるお話でした。
対談を終えて
鈴木さんの話を聞きながら何度も頷いたのは、「まず足の機能を整える。すべてはその先にある」というメッセージが、競技レベルに関係なくあらゆる人に当てはまるという点でした。
フォーム改善の前に足の機能回復を。シューズ選びの前に自分の足を知ることを。そして痛みが出る前に、違和感の段階で気づける感覚を養うこと。これらはそのまま、私たちが日常の健康づくりのなかで実践できる考え方です。
もうひとつ印象に残ったのは、足を「道具」ではなく「自分を支えてくれている存在」として捉え直すという視点です。足の構造を学ぶことも、セルフケアを習慣にすることも、すべては自分の身体への敬意と感謝の表れなのかもしれません。
鈴木さんが毎朝実践しているという「裸足で立って足裏の感覚を確かめる」習慣。道具も時間も必要ありません。明日の朝、ぜひ試してみてはいかがでしょうか。